基地村に25年!!米軍慰安婦の壮絶な生活実態 [政治]
元「米軍慰安婦」だった女性122人が韓国政府に国家賠償を求めた集団訴訟について、産経新聞も報じています。
女性たちは1960~80年代、在韓米軍基地近くの売春街(基地村)でアメリカ兵の相手をさせられており、慰安婦たちは「基地村女性」と呼ばれていました。
韓国政府が売春を奨励しており、性病検査も強制していたといいます。
実際、1996年まで慰安婦の「性病管理所」が存在していたことが確認されているそうです。
実は韓国では、昨年11月の国会でも、野党議員が朴槿恵(パクウネ)大統領のお父さん、朴正煕元(パクチョンヒ)大統領の決裁署名入りの文書記録をもとに政府を追及していました。
それによると、基地村は62カ所あり、「米軍慰安婦」は9935人いたといいます。
2002年に朝日新聞で報道された「4ヵ所、89人」より大幅に増えていますね。
20年以上に渡って行われていたのですから、もちろん増減はあるでしょうし、人数はある時点での数と、全体の人数の違いかもしれません。
国会では、朴元大統領が直接管理していたとする指摘も出ていて、今後、娘である朴槿恵大統領が野党や訴訟支援勢力から追及される可能性もあります。
「基地村」とはどのような所だったのでしょうか。
米軍慰安婦はどのような生活を送っていたのでしょうか。
25年間、米軍慰安婦をしていた金蓮子(キムヨンジャ)さんが、「基地村の女たち」という手記でその生活を綴っています。
「毎週一回ずつ、性病検査を依託された産婦人科医に行って検診を受けた。」
性病に罹っていると判定されると、モンキーハウスと名付けられた施設に収容されたといいます。
「女たちは誰もがモンキーハウスでの生活を恐れた。犯罪者扱いされながら、毎日米軍たちに股を開き、きれいな女かそうでないかを検査されるのは屈辱的なことだった」
また、妊娠してしまった慰安婦は病院へ行かず自力で堕胎をしていたといいます。
「病院に行くとお金がたくさんかかり、それがすべて自分の借金になるので、病院に行かず薬を飲んだ。生理不順に効く薬をたくさん飲むと子どもが下りるという噂があり、女たちはやたらとその薬を求めた。
「薬を飲むと一晩中激しい腹痛に襲われる。冷や汗が出て、鋭い刃が休みなく下腹部をえぐるように痛かった。」
「何日か血を下し続けると、こぶしのような塊が出てきた。その後、私は気を失ってしまった」
壮絶な苦しみです。
このような生活が政府の管理のもと25年も続いたというのです。
今回、女性たちが国家賠償として求めているのは一人あたり1千万ウォンです。
日本円にするとたったの100万円。
はっきり言って少なすぎます。
ただ、女性たちは金額がどうこうというよりも、この歴史的な事実がまともに正しく知られることを望んでいるために訴訟を起こすことにしたのだといいます。
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女性たちは1960~80年代、在韓米軍基地近くの売春街(基地村)でアメリカ兵の相手をさせられており、慰安婦たちは「基地村女性」と呼ばれていました。
韓国政府が売春を奨励しており、性病検査も強制していたといいます。
実際、1996年まで慰安婦の「性病管理所」が存在していたことが確認されているそうです。
実は韓国では、昨年11月の国会でも、野党議員が朴槿恵(パクウネ)大統領のお父さん、朴正煕元(パクチョンヒ)大統領の決裁署名入りの文書記録をもとに政府を追及していました。
それによると、基地村は62カ所あり、「米軍慰安婦」は9935人いたといいます。
2002年に朝日新聞で報道された「4ヵ所、89人」より大幅に増えていますね。
20年以上に渡って行われていたのですから、もちろん増減はあるでしょうし、人数はある時点での数と、全体の人数の違いかもしれません。
国会では、朴元大統領が直接管理していたとする指摘も出ていて、今後、娘である朴槿恵大統領が野党や訴訟支援勢力から追及される可能性もあります。
「基地村」とはどのような所だったのでしょうか。
米軍慰安婦はどのような生活を送っていたのでしょうか。
25年間、米軍慰安婦をしていた金蓮子(キムヨンジャ)さんが、「基地村の女たち」という手記でその生活を綴っています。
「毎週一回ずつ、性病検査を依託された産婦人科医に行って検診を受けた。」
性病に罹っていると判定されると、モンキーハウスと名付けられた施設に収容されたといいます。
「女たちは誰もがモンキーハウスでの生活を恐れた。犯罪者扱いされながら、毎日米軍たちに股を開き、きれいな女かそうでないかを検査されるのは屈辱的なことだった」
また、妊娠してしまった慰安婦は病院へ行かず自力で堕胎をしていたといいます。
「病院に行くとお金がたくさんかかり、それがすべて自分の借金になるので、病院に行かず薬を飲んだ。生理不順に効く薬をたくさん飲むと子どもが下りるという噂があり、女たちはやたらとその薬を求めた。
「薬を飲むと一晩中激しい腹痛に襲われる。冷や汗が出て、鋭い刃が休みなく下腹部をえぐるように痛かった。」
「何日か血を下し続けると、こぶしのような塊が出てきた。その後、私は気を失ってしまった」
壮絶な苦しみです。
このような生活が政府の管理のもと25年も続いたというのです。
今回、女性たちが国家賠償として求めているのは一人あたり1千万ウォンです。
日本円にするとたったの100万円。
はっきり言って少なすぎます。
ただ、女性たちは金額がどうこうというよりも、この歴史的な事実がまともに正しく知られることを望んでいるために訴訟を起こすことにしたのだといいます。
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